千福は日本を代表する酒へ
世界へ羽ばたく千福

千福の歴史 the history of sempuku

1856年

創業

三宅清七(当時33歳)が味醂・焼酎・白酒製造業をはじめ、屋号を地名の鹿田河内にちなんで「河内屋」と称す。清酒醸造に踏み切ったのは、明治35年(1902年)のことであった。

1916年

千福誕生

「呉菊」、「呉鶴」、「吾妻川」、「吾妻川正宗」に次ぐ第5番目の商標として「千福」が登録商標を受ける。初代三宅清兵衛の「女性は内助の功を称えられるばかりで、酬いられることが少ないのは気の毒である。せめて酒銘だけでも女性の名前を用いたい」という思いから、母(フク)と妻(千登)の一文字づつを用いて「千福」を命名した。

1920年

赤道ニモ負ケズ全国の海軍鎮守府に卸されたお酒

練習艦「浅間」に『呉鶴』を満載して練習航海に出航する(南アフリカ、南アメリカ方面) 220日余りの航海中、何回かの赤道通過にも変質、変味がなかったとして高く評価を受け、証明書を手交された。 以後全海軍基地へ『千福』が納入される。

1940年

戦艦大和進水式、戦艦大和に納品されたお酒としての紹介

「千福」が海軍御用達のお酒として、艦隊に納品される中で、「戦艦大和」にも納品される。
当時の納品証明書等は残っていないが、「ヤマトミュージアム」の海中の戦艦大和の映像には、「千福」のラベルは貼っていないが、当時の「千福」の瓶の映像が映し出されている。

広島文化の代表の一角を担う千福はやがて日本で愛される
1941年

生産量が3万5千石となり、一時的に日本一の石数となった

当時、中国にも2つ工場があり、国内の造石量を合わせると、一時的に日本一の石数を記録した。
その功績を称え、酒王を酒銘に入れ込むことになった。

1953年

「呉宝庫」完成

春、新装備を誇る「呉宝蔵」が完成し、命名は池田勇人元首相にしていただいた。
三宅本店近くには「呉宝橋」がある。

1980年

全国でも先駆けて、紙製品ふくぱっく1.8Lを発売

当時は、高級酒は不振、例外的な冷夏・長雨の結果、2級酒が久しぶりに2桁台の伸びとなる。軽量でコンパクト・割れない・輸送コストが安い・遮光性が大きく品質保持に良い等の理由で、「ふくぱっく」を発売。

1981年

カープ日本一を記念して、Vパック発売

1980年のカープ優勝を記念して、「Victory(勝利)」の頭文字をとったVパックを発売する。以後現在にいたるまで千福の看板商品となる。

2004年

小泉総理大臣(当時)が千福を訪問

絞ったばかりの新酒の味をきき酒されて「このお酒で晩酌ができればいいな」とお言葉を頂く。

先進と革新を繰り返す千福はやがて日本という枠を超える
2011年

上海に三宅(上海)商務信息諮詢有限公司設立

日本酒を世界に伝えたいという思いから、中国の上海に三宅本店が出資し三宅(上海)商務信息諮詢有限公司を設立。
活動拠点を少しずつ拡大し、日本酒を中心に日本の文化を広めていく。

2014年

県と共同で、フランスでの海外活動

広島県と共同して、フランスでの日本酒啓蒙活動を平成26年から始めており、千福からは「神力生もと純米無濾過原酒85」「純米酒」が輸出され、実際にフランスの店頭で並ぶようになった。特に「神力生もと純米無濾過原酒85」はフランスの方に好評で、著名な料理店にも置かれるようになった。

2017年

県と共同で、フランスでの海外活動

有田焼創業400年、株式会社三宅本店創業160周年、そして千福商標登録100年を記念した特別限定商品を販売。三宅本店と代々御縁の深い人間国宝・十四代今泉今右衛門作の三宅本店オリジナル記念酒器に加え、その酒器で楽しむのに相応しい三宅本店の酒を限定16セット販売。

千福、未来へ